大阪高等裁判所 昭和53年(う)1683号 判決 1980年9月09日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人平山正和、同酉井善一、同鈴木康隆、同荒木宏、同石川元也、同宇賀神直、同間瀬場猛共同作成の控訴趣意書(但し、第二の二の(四)の(1)藤田被告の場合の部分を除く)、弁護人平山正和、同石川元也、同宇賀神直、同間瀬場猛共同作成の控訴趣意補充書及び被告人作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官永瀬栄一作成の答弁書記載のとおりであるから、これらをいずれも引用する。
一、弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意について
論旨は、要するに、(一)戸別訪問を禁止した公職選挙法(以下単に法という)一三八条一項、これを処罰する二三九条三号は憲法一五条、二一条一項に違反しており、また法一三八条一項は戸別訪問にともなう原判示弊害などの全くない本件被告人の行為に適用されたりすることのないよう限定的に解釈されるべきであるのに、原判決がこれと異なる解釈をしたのは法令の解釈を誤つたものであり、(二)更に原判決が原判示別表番号6の下元に対する訪問行為につき被告人に投票依頼の目的があつたと認定したのは事実誤認であり、破棄を免れない、というのである。
そこで所論にかんがみ検討するに、まず所論(一)についてみるに、法一三八条一項、二三九条三号は、沿革及び文理に照らし、戸別訪問という形式の選挙運動を一律全面的に禁止したものと解されるところ、戸別訪問は、これを放任すれば、訪問者によつては、これにともない、買収、強要、威迫、利害誘導などがより容易に行われうることになり、また訪問を受ける選挙人の私生活の平穏が害されることとなつて、選挙の自由公正をそこなうおそれを増大させる結果となることにかんがみ、このような弊害を除去し選挙の自由公正を維持する目的で禁止されているのであり、戸別訪問を禁止しても、他に多様な形態の選挙運動が許容されていて選挙運動自体を格別困難ならしめるものとは考えられないから、前記各禁止規定は、必要かつ合理的な制限であるというべく、したがつて憲法一五条、二一条一項に違反するものではない。なお当審証人相見昌吾の供述する品川区長準公選の際の戸別訪問自由化の事例及び同猿橋真の供述にかかる昭和四〇年中葉以降の大阪、京都の各府知事選などの際の選挙運動の実態の変化は、公職選挙法の適用される選挙全般に妥当するか疑問が残り、未だ戸別訪問禁止規定の必要性、合理性を失わせるに至らない。
次に所論(二)についてみるに、原判決掲記の関係証拠によると、被告人は、原判示別表番号6の下元三容方を訪れ赤旗日曜版を配達した際、同人に対し「明日選挙ですからお願いします」とだけ申し向けていることが認められるが、これが大阪府第五区から共産党公認で立候補している戸松喜蔵への投票依頼の趣旨に外ならず、かつ被告人が赤旗日曜版配達の目的とあわせて右投票依頼の目的で下元方を訪問したと認むべきことは、原判決が適切に説示するとおりであつて、所論諸事情を十分参酌しても、右判断を左右するに至らない。したがつて原判決には所論のような法令適用の誤りも事実誤認もなく、論旨はいずれも理由がない。
二、弁護人の控訴趣意第二及び被告人の控訴趣意について
論旨は、要するに、法一三七条は、教育者がその教育指導する児童、生徒らの父兄に対して選挙運動を行つた場合であつても、特にその仕方が児童、生徒らに対する成績評価権や懲戒権等の行使を濫用する方法でしたりする場合など「不当に」教育者の地位を利用してなされた場合に限定されるべきであり、このように解釈しない限り同条は憲法一四条、三一条に違反するというべきであるのに、原判決が法一三七条を限定的に解釈することなくこれを本件に適用したのは法令の解釈適用の誤りであつて破棄を免れない、というのである。
そこで所論にかんがみ調査するに、法一三七条は、教育者が生徒らに対する教育上の地位を利用して選挙運動をするとき、これが教育者の地位に関する理念に反するのみならず、相手方の投票などに関する意思決定に不当な影響を及ぼすおそれがあることにかんがみ、右選挙運動を禁止したのであり、同条の文理や前記弊害は教育者がその地位を「不当に」利用して選挙運動をする場合にのみ生じるものではない。このことに徴すれば、同条は教育者が生徒らに対する教育上の地位を利用して選挙運動を行うことを全面的に禁止したものと解される。そして同条にいう「教育上の地位を利用して」とは、教育者が、被教育者ないしこれと利害関係ある父兄などに対する関係で、教育者たる地位にともなう影響力又は便益を利用することをいう。教育者が純然たる個人の資格において選挙運動をする場合など前記影響力又は便益を利用しない場合までをも禁ずるものではないことはいうまでもない。そうだとすると同条は所論のように構成要件のあいまいさのため憲法三一条に違反するものでないし、合理的な理由に基づく制約であるというべく、したがつてこれが憲法一四条に違反するとも考えられない。そして、原判決が、その挙示する関係証拠によつて原判示事実を認定し、被告人が教育者の地位を利用して選挙運動をしたものとして法一三七条を適用したのは正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。
三、弁護人の控訴趣意第三について
論旨は、要するに、(一)法定外文書の頒布を禁止した法一四二条は憲法一五条、二一条に違反しており、(二)また本件文書は、戸松喜蔵後援会御案内とする文書であつて選挙運動のためにするものではなく、内容的にみても何ら選挙の公正に害悪をもたらすものではないから、このような文書についてまでも法一四二条を適用するならば、その限りで憲法二一条に違反する、原判決がこれと異なる判断の下に本件に法一四二条を適用したのは法令の解釈適用の誤りであり、(三)更に被告人の本件文書の配布行為は選挙運動としての文書の頒布にあたらないから、右事実を肯認した原判決には事実誤認があり、破棄を免れない、というのである。
そこで所論にかんがみ検討するに、法一四二条は、文書頒布を無制限に認めるとき、選挙運動に不当な競争が生じることとなり、選挙の自由公正をそこなうおそれを増大させる結果となるから、このような弊害を防止するため文書の頒布につき一定の規制をしたものである。右立法趣旨及び文理に照らすと、法定外の文書は、それが選挙の自由公正に害悪をもたらす内容のものであるか否かを問うことなく、その頒布を一律に禁止したものと解されるところ、法定外文書の頒布を禁止しても、他に法定文書の頒布を含む多様な形態の選挙運動が許容されていて選挙運動自体を格別困難ならしめるものとは考えられないから、右禁止規定は必要かつ合理的な制約であるというべく、したがつて憲法一五条、二一条に違反するものではない。そして原判決掲記の関係証拠によつて認められる本件文書の外形及び内容に照らすと、本件文書が選挙運動のためにする法定外文書であり、かつ不特定又は多数人に配布すべく予定されていることが明らかである。このことに、右証拠によつて認められる本件文書配布の時期、態様などをあわせ考えると、被告人が戸松喜蔵に当選を得させる目的で、即ち選挙運動として本件文書を頒布したものと認むべきであるから、結局原判決が法一四二条が憲法一五条、二一条に違反するものではないとし本件文書の頒布につき一四二条を適用したことは正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤り及び事実誤認のかどはない。論旨はいずれも理由がない。
四 弁護人の控訴趣意第四及び被告人の控訴趣意について
論旨は、要するに、本件公訴は、被告人を政治的に弾圧しようとして不当な差別意図の下に、公訴権を濫用して提起されたものであるから、公訴棄却の判決をすべきであつたのに、原判決がこれをしなかつたのは訴訟手続の法令違反であつて破棄を免れない、というのである。
そこで所論にかんがみ検討するに、原判決が適切に説示するとおり、本件は事案軽徴というをえず、また検察官が不当な差別や弾圧を意図して本件公訴を提起したと認むべき証拠もないから、原判決が所論公訴権濫用の主張を容れなかつたのは正当であり、訴訟手続の法令違反のかどはない。論旨は理由がない。
五、弁護人の控訴趣意第五について
論旨は、要するに、(一)公民権停止は国民の基本的人権である参政権を制限するものであるから、法二五二条一項が、一部の例外を除き、選挙制度の根幹にふれる実質的犯罪と本件の如き形式的犯罪とを区別せず、かつ罰金刑に処する場合についても公民権停止を科しうる旨規定しているのは、憲法一四条、一五条、四四条に違反しており、これと解釈を異にする原判決には法令解釈の誤りがあり、(二)仮に然らずとするも、原判決が選挙の公正を何ら実質的に侵害せず、その目的態様において軽微な本件行為についてまで法二五二条一項を適用して二年の公民権停止を科したのは、憲法の前記各規定に違反して法令適用を誤つており、(三)更に、憲法三一条に照らすと、公民権停止を科する場合は、訴追者の側から公民権停止を求める旨の明確な意思と理由が示され、被告人に対し十分な弁解の機会が与えられ、かつ不服申立の方法が保障されるべきであるところ、本件審理過程において、起訴状中の罰条に何ら公民権停止を求める趣旨は記載されておらず、また被告人に実質的な弁解の機会は与えられてないから、被告人に対し二年の公民権停止を科した原判決には訴訟手続の法令違反があつて、破棄を免れない、というのである。
そこで所論にかんがみ検討するに、まず所論(一)及び(二)についてみるに、公民権停止制度は、法二五二条所定の選挙犯罪を犯した者を、選挙に関与させるのに不適当な者として、一定の期間公職の選挙に関与することから排除することにより、選挙が公明かつ適正に行われることを確保しようとする趣旨に基づくものであるところ、同条一項によれば、例外的に除外される場合を除けば、形式犯で罰金刑に処せられた者に対しても公民権停止を科するよう規定されているけれども、そのような選挙犯罪者であつても、選挙の公明かつ適正な施行をそれなりに害したことに変りはないうえ、同条四項によれば、情状により公民権停止の期間を短縮しあるいはその適用を除外できるよう規定されているのであるから、同条一項は国民の参政権に対する必要かつ合理的な制限であるというべく、これが憲法一四条、一五条、四四条に違反するとは考えられない。また本件は情状軽微といいがたいから、原判決が被告人に対し法二五二条一項を適用して二年の公民権停止を科したことが憲法の右各規定に違反するものでもない。原判決には所論法令の解釈適用の誤りはない。
次に所論(三)についてみるに、法二五二条の公民権停止は憲法三一条にいう刑罰にあたると解されるから、公民権停止を科するためには法律の定める手続によらなければならないが、公民権停止の手続は選挙犯罪の審判手続に外ならないから、被告人の弁解の機会も不服申立の方法も選挙犯罪に関するそれと一体として保障されているというべく、他方所論のように公民権停止を求める旨の訴追者側の意思等を表示することないし起訴状の罰条中に記載することは不要であり、本件においては、原審は、選挙犯罪の審判手続即ち公民権停止を科するため法律の定める手続にしたがい、被告人に弁解の機会を十分与えたうえ、被告人に対し二年の公民権停止を科したものであるから、その訴訟手続に所論法令違反のかどはない。論旨はいずれも理由がない。
よつて刑事訴訟法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。